元自衛官がうつ病になりかけて、自殺者だらけの職場から逃げるように起業したら、月収100万円を突破した人生逆襲物語

 

 

 

こんにちは、エジソンです。

 

 

 

副業でネットビジネスを始めて、
わずか5ヶ月で月収100万円を
突破することができました。

 

5ヶ月前までの僕というのは
コミュ障で実績もスキルも
本当になんの取り柄もなく、

 

常にネガティブ思考で
うつ病にまで
なりかけていたんです。

 

 

5分ちょっとで読み終わる内容です。
最後まで読むことで、

  • 会社が嫌で悶々としていて
    心のどこかで
    「俺の人生
    こんなもんでいいのか?!」と
    将来について疑問を感じている人
     
  • 毎日退屈すぎて
    絶望的な気持ちになっている人
     
  • 自分で副業や
    ビジネスに挑戦している人
     
  • 正しい努力をして
    退屈な人生から抜け出し
    自分の好きなことが
    できる人生にしたい人

 

この記事は、
そんな人向けに書きました。

 

 

ここでは自己紹介も兼ねて
どこにでもいる頭の悪い自衛官だった僕が

 

 

なぜ社長になったのか?

どうやって稼ぐことができたのか?

 

 

 

僕はもともと
陸上自衛隊で勤務していました。

朝の7時から夜の22時まで15時間

 

公務員だから
残業代なんて全く出ない中


人がいないのにどんどんと
上層部から
仕事を
もらってくるアホな上司

 

怒ることが生きがいで、
バカでかい声で

常に威嚇してすぐに
殴って蹴るしかできない

そんな頭の悪い上司

毎日ボコボコにされながら

 

 

「これやる意味あるの?
税金のムダでしょ」


「黙ってやれ、
命令だろうが!!」


「いや、明らかに
おかしいでしょ、
やめましょう!」


「俺が指揮官だから、
俺の言うことを聞け」


「文句を言ってるの
お前だけだぞ」

 

おいおい、嘘だろ。
思考停止してんのかよ、
コイツら。

 

自分の頭で状況判断しろよ。
本当の戦場だったら
死んでるぞ、これ。

 

 


1時間突っ立って話を
聞くだけの全体朝礼

 


日が暮れるまで
ボーッと待ち続けて

20時過ぎてから
始まる夜間射撃
とか

 

 

多額の資金を注ぎ込んだけど
改善点とか現場の意見を全く
反映されることのない
やりっぱなしの訓練とか

 

 

僕が入隊する前に感じていた
憧れていたかっこいい姿なんて
どこにもなかった

 

 

本当にやりがいのない
仕事ばかりをしていた。

うつ病寸前になりかけた僕が、

 

 

「ここにいたらもう俺の人生終わる」

「愛する家族と暮らすことができない」

 

 

ガチの焦りとどでかい不安を感じて、

10年も勤めた自衛隊を
逃げるように辞めて、

年収3000万円を荒稼ぎする
23歳と出会いビジネスを学び、

 

たった1人で起業をしたら、
月収100万円を

稼げるようになった物語

話していきます。

 

 

 

 

では、物語に入る前にざっくり
僕がどんな人間かを簡単に紹介します。

 

  • ネットで自動で
    利益を生み出すプロ
  • 初対面から1時間
    話すだけで100万円の

    商品を買って
    もらえるセールスのプロ

    社員を雇わなくても
    ネットを使って自動で

    利益を生み出す
    仕組みを自由自在に作れる
  • 1か月で100万円ほどの利益
  • 人に教えて育てるプロ
  • 僕から学んで、
    知識経験ゼロの素人が

    Twitterを初めて、
    たったの1分で作った

    ツイートだけで
    5000円を稼げたりしました
  • 年収3000万円の23歳に出会う
    年収3000万円でも
    意味不明なのに、

    30代で資産数百億
    ぶっ飛んだ実業家など

    意味不明な人たちと
    出会い常識が崩壊する。

    ネットだけで
    こんなに稼げるの凄すぎる。

 

ここまで読んだ人の反応は、

 

「えっ、ネットビジネス?」
「そんな怪しいことしてんの?」
「ネットビジネスって
ヤバい宗教とかネズミ講でしょ」

 

って方が大半かと思われます。

2年前の僕も同じ反応を
していましたから、

その気持ちはよく分かります。

 

 

 

ネットビジネス初めてすぐは
「うわー、悪徳商売みたい」とか
「詐欺師っぽいな、ホント」って
ずっと思ってましたし、

 

 

絶対そういう世界とは
関わらないでおこうと、
勝手に決め込んでいた
タイプの人間だったんです。

 

自分の知らないことは
完全に拒否する。

新しいことに
挑戦するのはリスクが高い。

 

もしかしてら失敗するかも。
なんでも始める前から否定して、
できないって勝手に決めつけて、
これまで挑戦してきませんでした。

 

 

 

今でこそ全然違う人間になりましたが、
本当に昔はクソしょぼかったですし、
超がつくコミュ障でしたし、
いくら探しても良いところなんて
1つもないような無価値の塊、
空気吸って吐いているだけの人間でした。

家が超貧乏で親がお金のことで
喧嘩ばかりしていた
・家がボットン便所で
夏はうじ虫だらけ。

小学校で貧乏がバレて
クソほどイジメられる

・青春時代のほとんどを
貧乏でネクラで

顔がニキビだらけとかバカにされ、
イジられたりばかりで、
ハゲるほどコンプレックスの塊

・偏差値36、県内最下位の
高校しか行くところがなかった底辺バカ
・高校生活3年間で
女子と話したのはたった3回。

絵に描いたような
コミュ障陰キャ童貞の三重苦

・なんとか自衛隊に入ったはいいけど、
鬼キツくて泣きながら実家に電話
・とりあえず3年という言葉を
信じて自衛隊を続けてきた
・自衛隊を辞める踏ん切りがつかずに、
ズルズルと先延ばしにして、
気づいたら8年が経っていた

 

本当に超がつくほどの
コンプレックス人間
でした。

自衛隊ではよくウンコ製造機
まで言われていましたね。

 

だからビジネスで結果出すには、
天才じゃなくていいし、

才能もいらないんですよね。

とにかく今変えたいって
気持ちは大事です。

 

 

そんな僕でもネットを使いこなせば、
年収1億とかいった目標も
ガチでいける
と思ってるし、

そこに到達するための
具体的戦略があるので目指してるだけ。

 

ただそれだけなんです。

 

 

今でこそこんな感じですが、元々、
とんでもないレベルで
ボロッボロのダメ人間でした。

ぶっちゃけるとビジネス以外は
今もダメ人間ですよ。

 

 

コンプレックスとか劣等感とか、
貧乏すぎて性格ひねくれてたし、
会社行くのが怖すぎて
仮病でサボったこともあるし
死にたいって考えたことも
正直何回もあった。

 

死ぬほど悔しい思いを
何回も何回も繰り返してきた。

けど生きることを諦めなかった。
諦めることができなかった。

 

でもそのおかげで、
今では最初に上に書いたように
日々成長できているし
超楽しい人生を送れています。

 

 

 

僕はもともと最低な自衛官でした

 

当時は新潟県のド田舎に生まれ
18歳までずっとそこに住んでいました。

 

自衛隊は基本的に寮生活だから、
仕事とプライベートの差はなくて、
逃げる場所もない。
休む場所もない。
怖い上司とかが普通に部屋に入ってくる。

さっきまで僕のことをぶん殴っていたやつが
部屋に入ってきてさらに殴ってくる。

 

 

殴られすぎると笑ってしまうんですよね。

「お前殴られているのに笑ってるのか?」
「本当に気持ちの悪いやつだな、、、」

笑っていると気持ち悪がって
途中で殴るのをやめて部屋から出ていく。

 

 

ん、これ笑ってれば許してもらえるのかな、、、。
もうそん時は訳のわからない思考になっていました。

でもそれから殴られそうになると笑ってしまう。
その上司が近くに来ると笑ってしまう。

 

 

「笑いたくないのに、どうして笑ってしまうの?」
「殴られてばかりで悔しい」
どうして殴られるの?俺が仕事できないから?

もうその理由すらも言ってこないし

 

どうしたらいいんだよ、、、。

 

いつまで殴られたらいいんだ、、、。

 

その後も挨拶しないと殴られる。
どこで休めばいいんだよって感じ。

 

「エジソンの態度が悪いから、
指導しておいた」ってことを
僕の部屋の先輩が聞きつけると

 

僕が寝ていようと
携帯いじっていようとも

そんなの一切関係なく
呼び出してまた怒られる。

 

え、俺殴られただけなのに、

また怒られるの?

いやいや、意味わからないでしょ?

 

事情を全て話しても
「仕方ないだろ、上の言うことを聞け」
そればかり。

 

 

我慢するしかないのかよ。
いつまで我慢すればいいんだよ?

 

納得できない。納得できない。

絶対に俺は悪くないのに。

 

 

悔しい!悔しい!!!

 

 

 

夜は酔っ払った先輩の介抱。
ションベンをかけられることにも
慣れてしまった。

 

 

こんなの誰のために
やってるんだよって

どう考えても意味のない
仕事をやらされる毎日で、

ストレスをMAXに抱えながらも、
でも給料のためには
やるしかないって状況。

 

 

 

何の資格もスキルもなければ
自衛隊にいるしか選択肢がなかった。

 

納得はできなかったし、
悔しかったけどどうにもできなかった。

 

当然、現状に違和感
バリバリ感じていましたし、

うつ病になりながら働く先輩社員を
見ていると将来への不安も
半端なかったので転職を考えました。

 

転職サイトを見て夜な夜な調べたけど、
結局どこの会社行っても
同じなんだろうなって
気づいてしまった。

 

そもそも自分が何をしたいのかも
ピンとこない状況。

いつも漠然とした
モヤモヤした不安があった。

 

 

どうせどこ行っても自衛隊ですら
通用しない能力も低く
何の資格もない奴なんて
やっていけないよ。

 

もし転職がうまく行って
ちょっと給料が上がって
月収20万円とかになっても

 

人生いきなり変わる訳じゃないし
面白くなれる訳じゃない。

 

もっとかっこいい男になりたい。
本当に憧れていたのは
強くてかっこいい男だった。

 

どうやったらかっこいい男になれるのか?

 

あー、起業家とかかっこいいなぁ。

アイアンマンとかみたいな
経営者とかどうやったらなれるんだろ。

 

 

でもある日、
悶々とする毎日に嫌気がさして、

現状を打破したい。
変わりたいって本気で思って

ビジネスやら投資やら色々なものに
挑戦して人生を変えてきました。

 

 

では、僕がなぜ将来安泰と
言われた自衛官を辞めて、
ビジネスの道に進んだか?
どのように人生を変えてきたか?


どうしようもない
レベルのダメ人間だった僕が、
どうやって月収100万円を
稼げるようになれたのか?

 

その過程を物語として
すべて暴露していきます。

 

 

 

貧乏すぎて、コンプレックスの塊になった

 

結論から言うと、
僕が自衛官になったり、自分で起業して
年収1億円を目指したいって思っているのは、
貧乏すぎる青春時代を送ってきたからです。

 

僕は新潟県の山と川しかなく、
人の数よりもヒルが多いど田舎出身で生まれました。
18歳、高校を卒業するまでずっとその街以外のことは
何も知らなかったんです。

 

 

今でも思うのですが、
超狭いところでしか生きていなかった。

 

まさに井の中の蛙でしたね。

 

僕の家は貧乏で、
お金がないせいで親がケンカをしている毎日。

 

ちなみにこれが当たり前の日常でした。

両親は共働きで暗くなっても帰ってこないし、
帰ってきたらケンカばかり。

「家になんかいたくない」って
よく友達の家に遊びに行ってました。

 

小学校の時はまだ
コミュ力があった方なので、

小学校が終わると
お金がある友達の家に遊びに行き、

 

ゲームやマンガ、
食べたことのない
お菓子を出してくれて

「最高じゃんか!
お金があるって幸せ」
って

毎日テンション上がってました。

 

そのまま入り浸り、
気づいたら暗くなっていて、
夕方過ぎてから家に帰る。

 

いつも帰ると、心配した顔で
おばあちゃんが家の前で
待ってくれたんですよね。

おばあちゃんが嫌いだったわけではなくて、
むしろおばあちゃん子だったんですが、
それもおばあちゃんしかいないから。

 

そうするしかないから。

 

そんな状況でした。
でもおばあちゃんのことは
今でも大好きです。

 

 

そんな感じで小学生の時とかって
カッコつけてはいましたが、
まだまだ母親に甘えたいんですよ。

特にうちは両親共働きで、
家にいる時間が短いのもあったので、

「お母さんの料理が食べたい」
って駄々をめっちゃこねてました。

 

 

 

 

土日は母の手料理を食べれたのですけど、
平日は基本的におばあちゃんが作るんです。
味付けとか見た目がイマドキじゃないというか
古臭いってことで嫌がってました。

 

たまにお母さんが仕事が終わって、
早く帰って来れるって時は僕の中では、
ビックイベントでめっちゃ喜んでました。

 

きっと僕は家族が好きだったんです。

 

だから友達を家に呼びたい。
僕の家も楽しいよ、僕のお母さんも
優しいからと伝えたかったんです。

 

そんなことを考えているときに
ついにチャンスが来たんです。

 

 

 

 

3人の友達と話していて
「たまにはエジソンの家行ってみようぜ」って。
初めて僕の家に友達が来てくれる!!!

 

「うおお!ついにウチの家を紹介できる」
「お母さんはいないけど、
でもおばちゃんがお菓子出してくれるじゃん」
「友達に満足して帰ってもらいたい」

 

という感じで僕の家を友達に
自慢したくなったんです。

 

 

だから早めにお母さんにもおばあちゃんにも
友達が今度遊びにくることを伝えて、
準備しておいてもらいました。

めっちゃワクワクしてきました。

 

 

 

そしてついに当日を迎えます。

ついに友達が遊びにきたんです。
友達は3人。一人が女の子という
男子なら頑張っちゃうって状況でした。

実は、とにかくカッコつけたかったんですよね。

 

 

でも家を見た瞬間から
「ん、、、なんかボロくね、、、」

みたいななんとも言えない
雰囲気に3人はなっていました。

 

じゃあ早速家に入ろうか
と仕切り直して鍵を開けたんです。

 

「え、ちょっと待って
その鍵なんなの?笑」

その時初めて知ったんです。
僕の家はドアの鍵が普通じゃない。

 

え、逆にみんなの家ってどうなってんの?
みたいにその時は思っていました。

 

 

ちなみにこんなやつ。

 

 

 

中に入ったら入ったで
ボロ家だから床が沈むんです。

1箇所に3人とか固まってしまうと
本当にそこが抜けるんじゃないかって
くらいに床が傾いてしまう。

 

いつも僕一人でいると気が付かなかったけど、
さすがにこれは異常なんじゃないかって
やっとここにきて気づき始めました。

 

 

今にも抜け落ちそうな床に
友達は喜んでいましたけどね。

 

 

 

 

友達が来るから準備しておいてって
前々からお母さんとおばあちゃんには
頼んでおいたのに
出てくるのは古臭いお菓子ばかり。

 

ポテチ、チョコとかじゃなくて
落雁みたいな

 

こんなやつ↓

 

 

 

ザ・おばあちゃんのお菓子って感じ。
「そんなの頼んでないだろぉぉ」

3時になるとまた別のおやつが出てきたんです。
それがじゃがいもを蒸したやつ。

 

「おいおい、戦時中なのか、この家は」

どうしてあれをチョイスできるのか
今でも謎ですよね。

おばあちゃんは好きだし、

ジャガイモも好きですけど
初めて友達呼んで
それ出すかよ、という感じ。

 

 

 

自分の日常じゃない雰囲気に
喜んでいる奴もいれば、

引いてる奴もいて、

僕は他の友達の家と比べると
全然違うじゃんかと
めっちゃくちゃ恥ずかしかった。

 

顔が真っ赤になりました。

 

まだ続きがあって
1番忘れられないのはトイレなんです。

 

 

本当に古い家だったので、
トイレがボットン便所というものでした。
今知っている人の方が少ないのでは?
という絶滅したトイレです。

 

これです↓

 

 

夏は臭いしうじ虫がいつも先客でいて、
白い体をくねらせて、ウネウネとトイレの
壁とか床をはっているんですよ。

 

いーやもう最悪でしたね。
二度とあんなトイレは使いたくない。
今思い出してもゾワゾワしてきます。

 

 

「うじ虫ってこうやって
地面を這うんだなぁ。すごいなぁ」

ってぼんやり眺めてたけど、
普通に今考えれば
クソキモいし超貧乏だったな。

 

 

食事中の方や苦手な方は
読み飛ばして欲しいんですけど、
彼らって下から這い上がってくるんですよ。

 

ボットン便所の下の方って暗くて
よく見えないんですけど、
うねうねと登ってくると白い体が見えてきて、

「今日は1匹かー」
「ん、いや下に5匹くらいいるやん、
早くトイレから出よう」

みたいに焦って用を足していましたね。

 

それでも僕は毎日使っているから
慣れていたんですけど、友達はドン引き。

 

さっきまで笑っていた友達がトイレ行って
ゲッソリして帰ってくる。

「なんか、ごめん」って心の中で思ってました。

 

 

 

それから友達を誘っても、
当然ですけど遊びには来てくれないし、
学校では

 

「エジソンの家は超貧乏だから気をつけろ」

「ボロだからすぐ床が抜けるぞ」

 

 

とか散々色んなこと言われて、
最初は笑って誤魔化していましたが、
段々と笑顔が消えていきました。

 

 

 

「家が貧乏ってだけで何が悪いんだ?」

「僕は何もしてないけど?」
「何でこんな思いしないといけないの?」

 

「おとうもおかあも
一生懸命に働いているのに、
どうしてうちは貧乏なんだよ、、、」

 

「何で仕事ばかりで、
僕と一緒にいてくれないんだよ」

「家族よりも仕事の方が大事なの?」

 

「やりたい事があっても、
お金なくてガマンしなくちゃいけないし、
欲しいものがあってもお金ないの
知ってるから口にもできない。
親の顔色うかがって生きるとか最悪だろ」

 

 

何回も何回も悔しい想いをしてきたので、

「僕は絶対に
将来お金持ちになってやる!」

 

と思ったんです。

 

 

今振り返ると、親の愛にとにかく飢えてました。
お金がないことも嫌でしたけど、
それでも大好きな両親と家族みんなで
一緒にいられないのが本当に辛かった。

 

だから絶対に僕の子どもには、
こんな辛い思いをさせたくないって
強く思うようになりました。

 

 

小学生ながら今でも、
記憶に残っている決意です。

実際に小学校の卒業文集の夢には
「億万長者」って書いていました。

こんなこと書いてるの
クラスでも僕だけでしたね。

 

 

ここが原点となり、僕はビジネスを
やろうと強く思うようになります。

ただ世の中お金じゃないと言う人がいます。
この話をすると毎回言われることです。
けどそれってキレイゴトですよね。

 

 

お金がなければ人生は確実に苦労します。
お金よりも大切なのは愛情って結構聞く話ですが、
本当にお金なかったら働かないと
生きていけないじゃないですか?
そうじゃないと生活できないし。

 

 

 

僕の親父の仕事は、
トラックの長距離運転手だったから、

家になんて2週間に
一回しか帰ってこなかったです。

しかも母親よりも給料は低い。

 

稼いでない親父が
デカい態度で母に怒鳴りつけるのが、

あまりにも見ていられなくて、

 

小学校の時に
「おっかあよりも稼いでないくせに
デカい態度取ってるなよ」って言ったら、

いきなり背中蹴り飛ばされて、
そこからあまり記憶ないですが、
とにかくボコボコにされました。

 

 

お金ない状態で愛って伝わらないんです。

 

そもそもお金ないと
働いてて会えませんからね。

お金ないと心に余裕なんてないし、
どんどん単純な思考になっていき、
すぐにキレるんですよ。

 

そんな状態で愛なんて伝わらない。

 

 

 

 今でも忘れられませんが、
親のケンカは子ども的には
結構つらいもので両親が
深夜に「ふざけんなぁ!!」
怒鳴りあう声で目が覚めたり、

ガシャーン!
皿が割れる音が聞こえたり、

母親が泣いてる姿を見ると
悲しい気持ちになるのです。

 

 

親がケンカのときは布団に
入って泣きながら
「早く仲直りしてくれ」と
ただただ祈るしかない。

 

 

家計がそんなんだったので
親にお金を使わせるのが
申し訳ないって気持ちが常にありました。

 

 

貧乏すぎてハゲるほどいじめられた中学時代

 

 

田舎の小さな学校だったので、
小学校から中学校で
同級生は変わることなく進学。

 

「小学校で始まったエジソンは貧乏だ」
というレッテルも取れることなく、
さらにひどい言われ方をされました。

 

 

しかも思春期到来と
同時に厨二病にもなり友達は0。

 

コミュ障隠キャ全開の
黒歴史が幕を開けました。

 

もう見た目からキモかったですよ。
貧乏で性格はネクラ。
しかも顔がニキビだらになってしまいました。

 

 

なんかもう人と目を合わせるのも嫌で
前髪をめっちゃ伸ばして、
さらにネクラ感がアップ。

 

前髪のせいで不衛生だし、
ニキビは増殖するわで
超気持ち悪い状態。

 

 

そのせいで青春時代は
バカにされたり、

イジメられたりで、
ハゲるほどコンプレックスの
塊だったんです。

 

マジで黒歴史ですよね。
書いてて情けなくなってくる。

 

 

中学に上がっても、
相変わらずうちは
貧乏なままだったので、

お金がかかりそうなことは
基本的に我慢しました。

 

 

同級生がオシャレな
ファッション雑誌を広げて、

盛り上がっていたり、
好きな音楽の話をしたりしてても我慢。

お金がないので
あらゆることに
興味がないふりをしていました。

 

 

でも内心はめっちゃ
興味があったんですよね。

 

「ファッションってなに?
今までしまむらしか
行ったことないんだけど、、、」

 

「CDってうちに1枚もないんだけど、
あの薄っぺらいので
どうやって音楽聴くの?」

 

でもお金がないって
言うのが恥ずかしくて、

劣等感から勝手に
心の壁を作って遠ざけていました。

 

当然のごとく友達も減っていき、
正直寂しかったのですが、
当時の僕は一匹狼みたいに気取って、

 

「別に友達とかいらないから。
てかいない訳じゃない。
作らないだけだから」って

 

完全に厨二病をこじらせて
訳のわからないことを言ってましたね。

 

「本音はみんなの輪に入りたい」
「もっとワイワイしたい」
「みんなで楽しみたい」
っていつも悔しい思いを隠していました。

 

 

金がない自分を肯定するために
変に強がって
素直じゃない性格になったのです。


歪んでいますよね。

 

 

 

偏差値36のコミュ障陰キャ童貞高校生

 

高校進学の時に僕をいじめてた奴らは
別の学校に行ったので、
もういじめられることはなくなりました。

 

 

けど僕が進学したのは、
偏差値36の県内
最下位の学校でした。

 

もともと勉強はやらないし、
頭も悪いしで本当に救いようのない
バカだったんですよね。

 

 

もうそこしか入学できるとことがない。
他に頑張れば学力的に
挑戦できるかもしれないところが
あったんですけど、

 

留年はしたくないし、
わざわざ挑戦してリスクを
取りたくもありませんでした。

 

 

 

勉強はできないし、
家は貧乏だし、
見た目も悪いって
最悪な状態だったんですけど、

 

 

3年間以上もいじめられてきた経験から
性格も死ぬほどひねくれてしまって、
無駄にプライドも高い状態だったんですよね。

 

 

そんな性格だったこともあって、
高校生活3年間で
女子と話したのはたった3回。

 

 

この記憶すらあやふやで、
本当に3回もあったのか
どうかって感じです。

 

まさに絵に描いたような
コミュ障陰キャ童貞の三重苦でした。

そんな感じで、いい感じに
ダークサイドな青春時代を送ってきました。

 

 

 

高校3年の4月にこれからの進路について
親と相談したのですが、

「大学に行かせる金なんてうちにはないから」

と色々考えていた進学先は言う前に
全て却下されたんです。

 

まあ、ある程度想像はしてましたけど、
シンプルに辛かったです。

 

 

 

そこからは就職一本に絞り、
自分はどんなことをしたいのかと
ぼんやり考えてはいましたが、
何も思い浮かばない。

 

 

地元の企業に就職するやつ、
家を継ぐやつ、専門学校、
大学に進学するやつ。

 

いろんなところに
就職する奴がいたけど、

僕は誰とも同じような道には
進みたくなかったんです。

 

 

プライドが高かったし、
イジメてきた同級生が
もし同じ職場にいたら
最悪だろうなって思ってました。

 

 

18年間ずーっと知り合いしかいない、
小さい町に住んで地元企業に就職するのは
本当に嫌だったんですよね。

 

 

もっと違うところで生活してみたい。

 

街の外はどうなっているのか知りたい。

 

 

 

なによりもお金で苦労したくない。
もうお金のことを考えたくない。
ちょっと前までは、
将来絶対お金持ちになってやる!
と思っていたのに。

 

 

 

お金がないと良いことは何一つもなかった。
愛なんて感じないし、
両親の仲も悪くなるし、
やりたいこともできないし、
何をするにもお金の心配がつきまとうし、

 

いつも腹が減って
イライラするし、

友達とも遊べないし、
どんどん卑屈な性格になるし、

 

子どもにも我慢させてしまうし、
お金のためにずーっと働かないといけない。

 

 

小さい時から貧乏に異常なまでの
コンプレックスを感じていた僕。

 

 

振り返ると、これまでの僕の人生は最悪だった。

 

 

ただ家が貧乏ということがキッカケで
散々イジメられたし、バカにもされた。

 

 

辛かったこともあったけど、
そもそも自分が弱いから
こんな風になってしまったんだって
思うようになっていった。

 

 

 

高校2年の時にテレビを見ていると、
家がめっちゃ揺れた。

すぐに緊急地震速報が流れてきて、
福島や宮城とかの方で地震が
起きたってニュースを見てた。

 

 

新潟も何回か大きな地震があったから、
その時は大したことなかったけど、
テレビを見ていると津波が押し寄せてきて、
本当にひどい状態になってしまっていた。

 

 

 

そこで活躍する自衛官の姿を見て、
街の人から感謝されたり、
手紙もらったりして
本当にかっこよく見えた。

 

何冊か東日本での活動が
記録された自衛隊の本まで読みあさった。

 

僕がこれまでに
感じてきた辛さとか
一瞬で吹き飛ぶほどに
強烈な出来事だった。

 

「あんな風になりたい」

 

「誰かから感謝される人になりたい」

 

 

何もできないし、
力もないけど自分を鍛えたいって
思うようになっていった。

 

 

しかも公務員だから
経済的に安定もしている。

これしかないって思った。

 

 

名前書いたら受かるとか
言われるレベルの試験を受けて、
なんとか自衛隊に入ることができました。

 

 

 

 自衛隊に就職したら、うつ病予備軍が多すぎてビビった話

 

「本気で自分を変えたい」

 

「強い男になりたい」

 

「困っている人を救い、感謝されたい」

 

そう思って自衛隊に入隊した。
もうお金のことで不安になるのも嫌だった。

 

 

 

最初は仕事をすることに燃えていて、
この教育で絶対いい成績を残してやろう。

 

そして立派な自衛官になって、
災害とかで困っている人を
救いたいって考えていました。

 

 

 

迷彩服着て地震とかで
グチャグチャになっている
ガレキの山から子どもを助けだす。

 

そんな姿をテレビを通して、
自分の子どもに見てもらいたい。

 

学校とかで
「僕のとうちゃんは自衛官なんだよ。
超かっこいいんだよ」って
自慢してもらいたかった。

 

 

しかし、現実は
そう上手くはいきませんでした。

 

自衛隊に入ると最初は
新人教育として
6ヶ月間みっちり教育される。

 

 

それが鬼キツくて泣きながら
実家に電話したことも何回かありました。

 

 

基本的に寮生活だからお金かからないけど、
狭い部屋に男8人とかで
詰め込まれていたんですよね。

 

部屋のやつとか相方とか何回、
何十回とケンカもしたし、
助け合うこともあったし、
慰め合うこともあった。

 

 

マジで部屋のやつに助けられたと思う。
ただ教育終了した時の成績は、
僕なりに努力して頑張っても
下の上程度だったのが本当に悔しかった。

 

 

 

教育が終わった後は
各部隊に配属されます。

見習いではなくて
本格的な訓練に参加させられます。

 

それも厳しくて、
蹴られ殴られ踏まれまくりました。

 

 

そこでも寮生活は続き、
怖い上司とかが平気で部屋に入ってくるんです。

今日僕のことをボコボコにしたやつも、
仕事終わりにフラッと部屋に入ってきてまた説教。

 

 

一日中怒られっぱなしで、
相談する人もいないし、
逃げ場所がなくなるんですよね。

 

外出も制限があるので
ひたすら我慢するだけ。

 

本当に辛いんですよ。

 

「ああ、こんな生活いつまで続くんだよ」
「結婚しなきゃ寮から出れないと聞いてないよ」

 

全然想像と違う。僕がやりたかったのは
これじゃないんだよなみたいな疑問に
ずっと悩まされていました。

 

 

そんな日が続いてくると、
怖い上司が近くを通るたびに
ビビりすぎて笑顔になっちゃうんです。

 

 

笑いたくもないのに
笑ってしまう一種の病気ですよね。

 

 

そうやって笑っていると
「おい!なに、笑っているんだ」
ってまた殴られる。

 

「もう、どうすればいいんだよ」
実は何回か逆ギレしたこともありましたが、
返り討ちに合いました。

 

上司にやり返されてその場は終わりなのですが、
狭い職場ですし、みんなが寮生活だから

「エジソンが〇〇さんに逆ギレしたらしい」

 

みたいな噂がすぐに広まって
先輩から呼び出されて
消灯近くまで説教をされる。

なんてこともありました。

 

やってらんないってふてくされても
元気がないなら筋トレしろとか
組み手に無理やり付き合わされたり

 

まさに地獄でした。

 

 

よくテレビCMで流れていた
「とりあえず3年」
という言葉を信じて続けてきました。

 

そこまで我慢したら自衛隊なんて
辞めてやるって考えてはいたんですよね。

 

 

でも経済的には安定しているし、
会社と違ってリストラもないし、
自衛隊ならつぶれることもない。

 

 

そう思うとなかなか辞める
踏ん切りがつかずに、
ズルズルと先延ばしにして、
気づいたら入隊から
8年も経っていました。

 

 

 

その間に階級も上がったし、
結婚して無事に子どもも産まれました。

「けど本当にとにかく
無駄な仕事が多すぎる、、、」

 

「これ意味あるのか?」って思うような
内容のない会議に1時間かけたり、

「何かあれば報告しろ」
って言われているので、

 

上司の言う通りに報告したら
「そんなしょーもないことで
いちいち報告するな」って怒られる。

 

「もうどうすればいいのかわからんて」

 

 

 毎日朝から晩まで資料ばかり作って、
「自分の仕事なんて全然進まない!」

上司はどんどん仕事を
振ってくるけどすぐに帰る。

 

日中は人が多くて
常にバタバタして、

雑務押し付けてきたり、
頼まれごとしたり、

 

偉い人にハンコもらいに
行ったりと自分の
仕事は終わらない。

 

 

残業したって公務員だから
残業手当は出ないし、
どうすればいいんだよ。

 

 

子どもが生まれたのに会うこともなく、
3か月も家に帰れないなんてこともありました。

 

 

秘密文書を扱っているとか言った理由で、
パソコンはもちろんデータとかも
家に持ち帰ることができないので、
職場でしか仕事ができない状況なんですよね。

 

 

地獄の無限ループでした。

 

 

 

周りの先輩や上司も遅くまで残り、
ため息をつきながら仕事をしています。

 

こんな人生全然楽しそうじゃない。

何のために働いているのかわからない。
しかも楽しくないだけならまだしも、
職場ではバタバタとうつで休職したり、
自衛隊を辞めていく人が多発
していたのです。

 

 

 

僕の上司もうつになって急に職場に来なくなり、
3ヶ月ほど仕事を休んでいました。
公務員だから休んでても
手当がしっかろもらえるんですよ。

 

 

「こんなの休んだもん勝ちじゃないか」

苦しんでいる人を横目に
うらやましがってしまう

 

そんな最低なやつになっていました。
それだけ心に余裕ないんですよね。

 

「いいなぁ、休めて」
「簡単にうつとかいって
プライドないのかよ」

 

 

そんな声がちらほらと聞こえてくるんです。
恐すぎるでしょう?

 

「おいおい
大丈夫かよこの職場、、、」

 

 

いつか僕も同じように
うつになって文句言われるのかな?

 

 

それか文句を言う側になるのかな?

 

 

どうして仕事やって体壊して
さらに文句まで言われるの?

 

問題を考えないの?
改善していこうとは思わないの?

 

 

結果として自衛隊に入隊した当初の
仕事への情熱は跡形もなく消え去り、

 

与えられた仕事をこなすだけで
精一杯の毎日を送っていたのでした。

 

そして、そんなある日、
衝撃的な出来事が起こったのです。

 

 

 

死と隣り合わせの日常で、生きる意味を真剣に考えた

 

 

いつも通りに部屋の
2段ベットの上で寝ている時でした。

 

「ギャやぁぁ」みたいな
叫び声?のようなものを聞いたんです。

 

 

でもその時はまた酔っ払ったやつが
騒いでいるだけだろって
大して気にすることもなく、

また眠りについたんです。

 

 

 

ただ朝になりラッパで起こされて
点呼に整列すると、
部屋のやつが一人いないんですよ。

 

 

 

遅れているのかと部屋に戻り探してもいない。
簡単にみんなで建物の中を探すと
4階の階段付近の窓側に
サンダルとメガネがあったんです。

 

 

 

その時に普段見ない
警務隊(自衛隊の中にある警察)の人間が
現れて現場を封鎖してしまいました。

 

 

内気であまりペラペラと
喋るやつではなかったのですが、
同じ部屋のやつが飛び降り自殺をした
と考えると怖くなりました。

 

 

それだけストレスを抱えていたんだ。
そこまで追い詰められていたんだ。

「もしかしたら次は俺の番かもしれない」

 

そう考えると身体の震えが
止まらなくなりました。

幸いにも飛び降りたやつの命には
別状はありませんでした。

 

ただ右半身が付随、
大腿骨骨折と一部複雑骨折。

 

 

速攻入院してそのまま
帰ってくることはありませんでした。

 

今どうしているのかも知りません。
彼のことを考えるとか、
もう僕の中にはそんな余裕すら
ありませんでした。

 

 

追い打ちをかけるかのように、
僕の上司の一人が自宅で
首を吊ろうとしたらしいのです。

 

でもその人は翌日も
普通に出勤して仕事をしていました。

 

 

でも首もとをよく見てみると、
ロープの跡がくっきりと
残っているんですよ。

 

自殺未遂をして次の日も
普通に出勤しているとか
あり得ないだろ。

 

 

どんな神経してんだよ。

周りの人は何も言わないの?

 

 

もう限界でしたね。
その後もちらほらと
うつや適応障害と診断を
受ける人が出てきました。

 

 

一番見ているのがキツかったのが、
ガンになった先輩です。

 

キツい抗がん治療を受けつつも、
時間を見つけては仕事をしにくるんです。

 

 

僕の知り合いに病院関係の
仕事をしている人がいますが、
医者が自分がガンになったら
絶対使いたくない薬No.1が
抗がん剤って聞いたことがあります。

 

 

実はあの抗がん剤の
中身は毒らしいです。

だから毒の力でガンを殺すと
同時に体も殺してしまう。

 

毛も抜けるし、
体もどんどんと
弱り痩せ細っていきます。

 

 

体が大きくて筋肉とか
すごかった先輩が痩せて、
フラフラと歩きながら
少し仕事をして帰る。

 

 

うつとか精神障害とか
自殺未遂までするストレスを
抱えながら仕事する人たちはいるし、

 

ガンになってまで働こうって
本当にイカれている
職場だと思いました。

 

 

もしかしたら、
明日容体が急変して
死ぬかもしれない。

 

それなら家族と少しでも
一緒にいてあげれよって
何回も思ったし、
直接伝えもしました。

 

 

その後知ったのですが、
お金がない人は保険が
効く抗がん剤治療しか
受けられないんですね。

 

知りませんでした。

 

それ以外の方法だと
先進医療という
ものがあるのですが、

保険が効かずに高額。

 

 

今の医療費を稼ぐためにも
奥さんは働いているし、
子どもは一緒にいても
面倒も見れないから
仕方なくこども園に

預けているのです。

 

ショックでした。

 

命を救うには最後は
お金があるかないか、
それだけで決まります。

 

 

命には値段があるのです。

 

「俺は絶対こんなになるまで働かない」

「絶対こんなふうになりたくない」

「一番大事なのは家族だ」

「俺が死んだらまだ小さな娘が
悲しむ、片親にしてしまう」

「絶対こんな職場には殺されたくない」

と決意を固めました。

 

それと同時にもしかしたら、
次は俺の番なんじゃないかと
超焦りを感じました。

 

 

自分の身近な存在が
死にかけたことで僕は
「人生」というものについて
真剣に考え始めました。

 

 

お金で苦労する人生は絶対嫌だ、
不満にまみれた人生も
絶対嫌だと思いました。

 

 

よく考えたら
明日生きている保証なんて
誰にもないのです。

 

 

交通事故に遭って
急に死ぬかもしれないし、
逆に中途半端に事故って
植物状態になるかもしれない。

 

 

 

明日突然死ぬとなったら
死ぬ間際になんて思うだろう?

毎日上司に怒られて


すみません、

すみませんと謝り倒し、

その裏では会社に不満を言いつつも
10年、20年と会社のために働き続ける。

 

 

 

家のローンと子どもの学費のために
お小遣いは毎月たったの1万円だけ。

 

 

自分で稼いだお金なのに、
やりたいことがあっても
我慢ばっかりで

一切自由なんてない。

 

 

これでは死ぬに死に切れない。
そんな人生を送るために俺は
頑張ってるんじゃない。

 

「ああ…あの時こうしていれば」

「ああしていればよかったなぁ」

って後悔しか残らない
人生になるに決まっている。

 

 

この先定年まで自衛隊なんて
仕事はできない。体力的にもきつい。

それにいつかストレスで
死んでしまう、

 

殺されてしまうと本気で
自衛隊を辞めることを
同時に決意したのです。

 

 

でも働かないとお金はないし、

 

全然貯金はできていない。

 

 

何か、何か考えないといけない。

 

 

 

ネットビジネスとの出会い

 

それで最初は転職を考えますが、
転職サイトを見てもピンとくる仕事が全くない。

 

 

何かスキルとか資格を
活かしたかったけど、
活かせるものすらない。

 

 

それにもし転職したところで
転職先が自分に合うかなんて
分からないし、

 

ここよりもさらに
ブラックな職場だったらどうしようか。
はあ〜どうしよ。会社はつまらんわ、
何をしたいか分からんわ。

 

 

と悩んでいた時、YouTubeを見ているときに
ブログを使ってFIREしよう
みたいな広告を見かけたのです。

 

なんか直感でした。

「これだ!!!!」

 

 

文章を書いてサイトに
上げていくだけで

資産になるんだ、すごい!

これが本当だったら
働かなくてもお金が入ってくる。

不労所得が作れてしまうじゃんか。

 

 

でもそんな簡単に稼げないでしょ。
とか思っていたのですが、
もう今の状況が少しでも
良くなるならこれしかない。

だって文章書くだけでしょう。

一度だけでもやってみよう。

 

 

そんな軽い気持ちでブログを始めました。
ちょうどコロナが流行った年で
9月にコロナの給付金の10万円を使って

MacBook AirとAFFINGER5という
ブログのデザインテーマを購入。

 

その時見ていた情報発信者が
ブログ界隈では有名な方々。

 

彼らのマネをしてTwitter始めて、
ブログを書き溜めてからTwitterに
サイトのリンクを貼ろうと思ったけど、
まったく1記事も書けない。

 

 

マネしてもこれじゃあ完全にパクリだし。

文章なら多少書けるかもと
思ったけどそんなに甘くありませんでした。

 

 

さすがに10万円かけてこんなに
早く挫折するわけにはいかないって
焦り始めたのですが、

 

自分一人じゃどうにもならないし、
そもそもブログ書く
時間すらも作れない。

「おいおい、こんなに
上手くいかないものなの?」

「お金使ったのに、たった1ヶ月で
挫折とか意思弱すぎるだろ」

 

「そもそもブログの仕組みも
よくわからないし
どうすれば稼げるんだよ」
って悩んでいる時でした。

 

 

Twitterにある1通のDMが来たんです。

 

そこにはいろいろ
書いてあったんですけど、

まとめると

「ブログの書き方を教えます」ってこと。

 

こんなジャストタイミングあるのかよ
と警戒しながらも、
もうこれしか頼るものがない。

 

 

そこからすぐに
通話をする流れになったのです。

 

もう自分じゃ考えられない、
とにかく教えてくれって
状態だったんですよね。

 

 

そして丁寧な説明とか
聞くうちにこの人から
教わればビジネス
上手くいくんじゃないかと
思い始めてしまったのです。

 

 

ここからが本当の地獄の始まりでした。

ビジネス開始2ヶ月目にして
詐欺コンサルに加入。

 

 

しかもコンサル費は50万円、
期間は無期限。

 

今ならわかるけど、
さすがに怪しすぎる内容だと思う。

 

 

こんなのに今も騙されるやつが
いるからヤバいよね。

 

 

当然みなさんの予想通りに
稼ぐことはできませんでした。

 

 

 

教わったことは
Twitterを使ってとにかく
リプ周りとDM営業。

 

フォロワーを増やして、
自分の公式LINEに登録してもらう。

商品も何もない状態で
いきなりお客さんを集めに行く。

 

そんなの上手く行くはずもないし、
不安になってあれこれとメンターに
質問するとだんだんと
態度は悪くなってきて、
質問には答えてくれなくなる。

 

「あ、これちょっと違うな」
って気づいた時には

クークリングオフは使えず、
仕方なく50万円を取り返すまでは
頑張ろうと思ったのです。

 

それから6ヶ月ほどは
頑張ったんですけど、
稼げた額はたったの400円。

 

その後メンターとは
音信不通になってしまいした。

 

借金を借金で帳消しにしていく地獄に突入

 

「副業とかビジネスで
よく聞くのってブログと物販だよな」

 

「ブログは上手くいかなかったけど、
物販なら行けるかも」

どこからその自信が生まれるのか。
呆れるくらいにバカでした。

何かやっていないと
お金の不安に悩まされるし、

 

幸い公務員だから
安定しているってことで
お金も借りやすいんですよね。

 

ブログはダメだったし、
Twitterも詐欺だったし、
物販やってみるかと
なっちゃったんですよね。

 

たまたまTwitterの繋がりで
仲の良かった人が物販を教えていたので、
すぐに声をかけて弟子入り。

 

一括40万円のコンサル費を
クレジットカードで分割決済して、
物販コンサルを本格的に
受けることになったんです。

 

 

このあたりの行動力はさすがだなって
我ながら思っていたのですが、
これが借金地獄への一歩だったんです。

 

当時妊娠中だった妻には
お金のことは言えるわけもなく、
物販始めたってことだけ伝えていました。

 

妻も家族のために自分が
副業をしているってことを
理解していくれていたので、

何も言わずに梱包作業とか
簡単なものを手伝ってくれていました。

 

ツール使って仕入れしてと
パソコンをほとんど触ったことがなかった
僕は超しんどい思いをしました。

「エクセルってどうやって使うんすか?」
「なんかバグって変な数字で出ますよ!」
「今のデータってどこに保存されたんですか?!」

あの時教えてくれた人には
感謝しかないですね。

 

でもやれば人間すぐに慣れてくるもので、
やっと自分でリサーチとかできるようになって
毎月少しずつ仕入れ量を増やしていきました。

 

ここからが本当に辛かったところです。

僕がやっていたのは
楽天ポイントせどりというもので、
深夜0時から楽天のポイントマラソン
という企画が始まるんです。

 

そこに参加すると2倍3倍と
いつもより多くポイントがゲットできる。

それに合わせて仕入れをするんです。

 

そうしてAmazonで販売することで、
丸々ポイント分が利益になるって感じでしたね。

 

 

やり方はめっちゃシンプルなんですけど、
作業が本当にしんどい。

0時から仕入れ始めて終わるのが4時とか。

 

その時はまだ普通に働いていたので、
朝7時は家を出なければ間に合わない。

 

あと3時間も寝れないって日が
何日も続いたんです。

 

 

月の半分は2〜3時間睡眠で
やり切ってボロボロになってました。

 

その時に初めて副業での収益が出て、
嬉しかったですね。

ただ作業地獄は本当に辛かった。

これいつまで続くねんって感じで、
終わりが見えない。

 

 

それにやりがいも全くない状態。

 

数字を見て安いものを見つけたら、
買ってみて家に届いたら
それを梱包して発送する。

 

永遠とそれの繰り返し。

収入を増やすならさらに仕入れるしかない。

 

もちろん最初は自分の
身銭切らないといけないから、
売れなかった時のリスクは
全部自分持ちになってしまう。

 

常にリスクを抱えていて
一度でも止まってしまうと
資金が回らなくなってしまう。

 

 

そんな状況だったけど、
1年間物販は続けてみた。

 

ちょうどその時に二人目の
子どもが産まれました。男の子。

 

心から嬉しかった。

 

素直にありがたかった。
無事に生まれてきてくれたことに
めちゃくちゃ感謝した。

元気な子を産んでくれたことや
妻も健康だったから本当に嬉しかった。

 

生まれたばかりの赤ちゃんを
抱っこした瞬間、
めちゃくちゃ軽くて、
どこかミルクみたいな匂いがして
すごく癒されたけど、

 

すぐに絶望的な不安が
押し寄せてきたのを
今でも覚えている。

 

「この子の未来は俺にかかっている」

 

ドシっと見えない責任が
肩や背中にかかってきた感覚があった。

 

 

そこから物販、家事育児、自衛隊と
とにかく仕事をやりまくる。

 

うちの妻も夜泣きとかで
睡眠時間削って
子どものことを見ている。

 

「妻も頑張っている」
「多少寝れなくても平気だよ」
「まだ若いんだし、
ここで止まるわけにはいかない」

って本気で仕事を頑張っていました。

 

公務員だから残業代なんかないけど、
毎日22時近くまで働いて
子どもの寝顔しか
見れないことに
不満を感じていました。

 

 

僕の同僚や上司なんて
毎日何のためにやっているのか
目的もわからなくなっているような
仕事を7時から22時まで必死になって
最悪誰にも相談なんてできずに死んでしまう

 

 

「本当にそんな人生でいいのかよ?」
「目の前で同じ職場のやつが
心病んだり死んでいってるんだよ」

 

見向きもしないで、何も動かずに
ただただ死を待つことなんてできない。

 

「マジで時間止まってんのかよ?」

「化石かよ」ってレベルで
目は死んでるし、欲とかもない。

やりたいことも
将来のことも考えられない

 

毎日会社行って
言われたことやるだけの人生

「奴隷かよっっ!!!」

 

「俺の人生なんのためにあるん?」

 

頭痛くなるくらいに毎日悩んでいた。

 

 

絶対子どもには
こんな思いをしてほしくない。
苦しむのは父親の仕事。

妻にも子どもにも苦労はさせない。

 

「全部やってやる」って
自分1人じゃどうしようもない
責任を感じながら

将来の不安を何とかしようって
ガムシャラに動きまくったら、
頭の痛みが止まらなくなった。

 

 

朝起きてから寝るまで
ずっと右耳の上あたりが
ズキズキと痛んでいる。

 

寝る時だけは痛み止まって
楽になるけど、
全然やること終わってないし
このままじゃ何も変わらんって
焦って作業始めて寝れない。

 

ちょうどこの頃に過労で
自殺した人のことを
ニュースで見かけた。

働きすぎると人間って
死ぬんだな。

 

「でも俺の場合はまだ余裕あるし
なんとかなるでしょう」

「ただ頭痛いだけだし、
まだ頑張れる」

 

明日も仕事あるし、
とりあえず仮眠だけって言って
無理に寝ようとして

頑張って
頑張って
寝ようとしてやっと

2時間とか、いい時は3時間とか寝れた。

 

 

そんなレベルで副業、
本業やりまくったら頭痛が止まらなくなった。

 

限界が近いことに気づく。

 

同僚や上司を見たって
ここまでお金をかけて、
動いている人はいないし、

 

理解してもらえないから、
相談することもできない。

 

 

作業地獄だったけど、
仕事をするしかなかった。

 

弱音なんて吐けない。
相談はできない。
妻に言えば心配させる。

 

 

子育てで手一杯なのに
余計な不安をかけてしまう。

 

 

稼げない副業を始めた俺が悪い。
正直何度も諦めようと思った。

何もやらない方が楽だし、
お金払ってまでビジネス学ぶとか
前は考えられなかった。

 

もっと時間使って
物販やるしかない。

 

忙しすぎて、
本当に死にそうだった。

毎日22時まで残業して、
それでも終わらない仕事。

 

泊まりで仕事したり、
休日すらも出勤したり。

 

それでいて満足に副業は
稼げていなかったんですよね。

 

 

内心、超焦っていました。
このままじゃ副業どころじゃない。

どうにかして稼がないと、、、、

それから数日したら
本当に頭痛が止まらなくなり、
「なんかこれヤバいんじゃない?」

本格的に寝れなくなって
人生初の心療内科を受診した。

 

 

診断は適応障害。
うつの一歩手前。

 

その診断をもらってから
妻と何度も相談した。

 

 

 

その時に物販もやめた。

10年積み上げた自衛隊でのプライドを捨てて、
楽な部署に移動させてもらうことに決定。

 

それと同時に休職の手続きをして
4ヶ月くらい仕事を休んだ。

何もかもから解放された。
仕事も副業も。

休職中も自衛隊から
給料は出るから
ある意味で
不労所得状態を経験させてもらった。

 

 

「でも休職期間を明けたら
またあの職場に戻るのか、、、」

「結局自衛隊を辞めないと
何の解決にもならない」

 

時間はたくさんあるから
しっかりと考えよう。
そこから情報収集をまた始めた。

これが2022年の2月くらい。

 

 

 

ビジネスと出会い、自分の力でお金を稼げたことに心震える

 

 

知識にお金入れるしかない。

稼げていないのは、知識がないから。

 

知識がないのはお金使って学んでいないから。

 

ここまでにいくつもの無料の教材をもらって、
対して本気で実践せずに取り組んでいたから
稼げなかったんだって思ったんです。

 

それに気づいた僕はその時は
Twitterで流行っていたBrainを買いまくった。

 

とにかく知識を入れようって動き出した。

 

最初は100円とかのやつだったけど、
だんだんと高額になっていき、
1万円とか最高で5万円の
Brainまで買ったことがある。

 

膨れ上がる借金に歯止めが効かなくなり
何とかして一発逆転でお金を稼げないかって
常に考えていた。

 

この思考がノウハウコレクターの
始まりだったんだと思う。

お金の余裕がなくなって、
妻や子どもにも当たり散らしてしまう。

 

最低な父親になっていた。
まさに自分の父親そのもの。

 

「最悪じゃんか、
一番なりたくなかった人に
なってしまっている」

 

それからさらに
2ヶ月くらい買いまくったけど、
結局知識を買い漁るだけの
ノウハウコレクターになってしまっていた。

 

「もう何やっても上手くいかないよ、、、」

とほとんど諦めて
しまっている状態だった時に、
一人の情報発信者のBrainを見つけた。

 

 

Twitterで0から収益化するまでの
流れを話している物だった。

 

「よくあるやつだよな、、、」
「結局ノウハウ集めても
行動しないと変わんないんだよね」

 

「もしこのBrainの
ノウハウを実践してみて、
稼げなかったらもうBrainを
買うのはやめようかな。

 

何なら副業もやめて普通の
人のようにして働けばいいのかな。
そうすればまだ間に合うかもしれない」
って思っていた。

 

半ば諦めかけて、
1万円のBrainの購入ボタンを押した。

 

 

僕は月収800万円の異次元な23歳と運命の出会いを果たす

 

信じられないことに
あのBrain購入から
たったの7日目に11万円稼げました。

 

Brainの内容をそのまま実践して、
公式LINEのサポートを
受けながらBrainの
アフィリエイトをしてみただけなのに。

 

 

「こんなに稼げるのかよ?」

本当に言われた通りやっただけ。

 

ノウハウなんて
全く理解できなかったけど、
ただ実践しただけなのに
こんなに簡単に稼げちゃうのかよ。

 

「え、俺の2年間とは?」
「何の意味があったんだろう」
ってレベルにぶったまげましたよね。

 

 

稼ぎ方、売り方を
知っているか知らないかだけで
こんなに違うのかよ。

 

「知識身につけとかないと、
永遠と稼げないままなんじゃ、、、。」

 

 

うっすらとそんなことを考えていました。

Brainのノウハウに従って、
はじめての商品が完成。

 

そんなある日、たまたま
その男と通話できるチャンスがやって来たのです。
zoomで対面で話ができるらしい!

 

 

というのも僕が
「自分の初商品が完成しました。
お陰様で稼ぐことができました。
ありがとうございました」

 

という感じの感想を
TwitterのDMに送ったら、
返信があったのです。

 

「商品の添削しますよ。
通話しませんか?」

 

「何話せばいいんだ?」
「これって何か売り込まれるんじゃ、、、」
「でもこの人は本物だし、知識だってすごい」

 

迷うことなんてない!
すぐに通話の日程を決めました。

 

 

で、実際に若き富裕層と通話して
その姿を目の当たりにして
僕はビビりました。

 

「この人は、とんでもねー男だ」
「マジで若いけど、
この人はビジネスのプロなんだ」
「間違いなく本物だ!!」

Twitterアカウント作って
初月から50万円くらい稼いだり

月に30万円くらい稼ぐ
アカウントを量産したり

大手企業をコンサルティングした話や
飲食店の売上を4倍にした話、
彼の周りにいる数百億クラスの人の話。

 

 

脳みそがオーバーヒートしそうなほど
ぶっ飛んだ話をされました。

 

こんな人今まで見たことがない。

 

 

今でこそ数億円の経営者と
実際に顔を合わせることも
できるようになりましたが、

 

当時の僕にとって数千万円単位で
稼ぐ人間なんて本当に
存在するの?ってレベル。

 

ツチノコとか伝説みたいに
本当に実在するのって感じでした。

 

 

 

自分が全く知らない
世界の扉を開いてしまい

僕はめちゃくちゃに興奮しました。

 

これまでいろんな教材を
買い漁ってきたけど、

どの教材とも違った知識だし

 

何よりも話がわかりやすい。

 

 

それと同時に、
これはチャンスなんだ
ってことに気づいたんです。

 

このチャンスを絶対に
手放すわけにはいかない。

この人について行かないと
絶対に成功しない。

そして、気がついたら僕はその場で

 

「僕にビジネスを教えてください」

 

と、4つ年下の彼に頭を下げて
弟子入りを志願していました。

 

切羽詰まっていたからもう
プライドも何もかんも捨てていました。

 

このチャンスは人生を変えてくれる出会い。
絶対にビジネスで成功したかったのです。

 

当然現金なんて持っていなかった僕は
100万円のコンサル費を全てその場で
クレジットで決済しました。

 

 

これまでの自己投資で
最高の金額。

 

 

少し手が震えました。
これでうまく行かなかったら、
どうしようか、、、。

 

いやそんなこと考えても仕方がないから。

 

とにかく手を動かそう。
この人を信じて進むしかない。

 

この時、ビジネスで成功して
絶対に金持ちになってやる。
と心に誓ったのでした。

 

 

そして稼げるようになり、新しい世界が開ける

 

まずはBrainという
プラットフォームを使って

アフィリエイトをしました。

 

いろんな教材を売ったんですけど、
ツイートの一文字が変わるだけで
売上が5倍とか変わるんです。

 

すごすぎる。

 

そのままTwitterで集客して
Brainを作り売っていく。

あとは頂いたコンテンツを
ひたすら聞きまくるだけ。

 

1ヶ月はイヤホン外すことなく
聞きまくっていました。

 

やったことはただそれだけ。

 

ただそれだけだったのに、
コンサル開始から2ヶ月後で
50万円も稼げてしまったのです。

 

信じられなかったです。

 

本当かよって思いつつも、
ニヤニヤが止まらないみたいな。

もう喜び方すら気持ち悪い。

 

「よっしゃあああああああ!!!!」
みたいに心では叫んだいたんですけどね。

 

国からもらう給料ではなく、
初めて自分の力だけでお金を稼げたことが
嬉しくて嬉しくてしょうがなかったんです。

 

ビジネスめっちゃ面白いんだけど!と
僕はビジネスにどハマりします。

 

自衛隊を辞めるってことが
現実に見えてきました。

 

 

目標がはっきりしたことで、
退屈だった毎日が一気に楽しくなりまし。

 

会社の昼休み、今までは
同期と喋っていたり、

会社の愚痴とか
他人の悪口とかを話していた時間は

本を読む時間に変わり、

 

休日家でyoutubeやTwitterを見て
ダラダラしていた時間は
セミナーに行ったり、

 

作業する時間に変わり、
生活にメリハリが生まれて毎日が
超充実し始めたのです。

 

おかげで行動力がついたり、
ビジネス仲間が出来たり
人生いい感じになってきました。

 

ビジネス様さまです。

 

 

そしてついに
5ヶ月目には月収100万円

達成しました。

 

これには超感動しました。

 

 

やったああああ!!!俺にも出来た!!!

 

と今回は叫びまくりました。

 

 

と同時に金持ちの
価値観や知識を手に入れると、

こんなにも人生が変わるのか

 

教育ってものがいかに大事ということを
体感することができたのです。

 

 

で、利益が生まれるようになったので、
さらにビジネスを学びたいと

 

さらに格上の3億とか稼ぐ経営者や
異次元レベルの格上経営者に
会いまくったり

 

教材を買い、知識を入れまくったり

 

実際に人に会って
化粧品会社のコンサルをしてみたり

 

 

将来はスタジオ経営の女子大生に
アドバイスしたりと

 

ビジネスを学んだり、
インプットした知識で
人の悩みや問題を解決できるって
超楽しいって思えるようになったのです。

 

 

イオンモールはただの
ショッピングモールではなくて
ファイナスで儲けていることが判明したり、

 

マクドナルドがハンバーガーを売り
稼いでいるのではなくて
フランチャイズから
一番利益を出していることだったり

 

たった1日ビジネスモデルをいじっただけで、
とあるクリニックの年間利益が
1億5000万生まれたりするんです。

 

知識つけると
→利益が生まれる
→その利益を勉強に
使ってさらなる利益を生む

この好循環ループに入ることで
利益はどんどん上がります。

 

投資なんてやるよりも
お金を簡単に増やせる。

しかも資本は大してかからないし、
何よりもリスクがほとんどない。

 

「最強やん」

昔の自分では一生会えないような
数百億クラスの実業家に会って刺激をもらえたり、
人生がどんどん楽しくなるのを実感しました。

 

つい先日までは
ひどいコンプレックスの塊で
常にお金のことばかり考えて

余裕なんてこれっぽっちもなくて
マジでつまらない人間だったんですが

 

 

こういった
小さな成功体験を

積み重ねていき
少しずつ成長することで
自信をつけることができました。

 

 

まとめ

 

最後に僕がこのブログで
発信している理由を
話します。

 

今回一番に伝えたかったことは

人生は変えられるってことです。

 

当たり前からもしれないけど、
僕は半年経たない間に
本当に人間が変わることが
できました。

 

ちなみに今でも
コンプレックスがあります。

 

でも努力すれば何とでもなれる。
諦めないで、やり続ければ変われる。

 

それを身をもって証明するために
このブログをやっています。

 

 

僕は小さい時から本当にお金がなくて
そのことでいじめられたりして
コンプレックスの塊になりました。

人生の前半を超暗いまま
生きてきました。

 

 

本当は同級生たちのように
学校のイベントにノリノリで参加したり

東京の大学とかも行ってみたかったし
友達数人で一緒に海外旅行に出かけたり、

もっと人生を楽しみたいと思っていました。

 

 

でも、昔の僕は貧乏でコミュ障で
楽しい事とは無縁の

ウンコ製造機でした。

 

小学校、中学校では
うじ虫と友達だったんですよ。

 

 

しかも僕の両親を見ていると、

 

お金がないと精神的にも余裕がなくなり
性格は暗く卑屈になりすぐにキレる。
物理的にも時間がないから何もできない。

 

最悪な状態でしょう。

 

マジでお金があるかないかで
ただそれだけで、
でもたったのそれだけのことで
命まで関わってくるんです。

 

お金があるかないかで
死んでしまう人までいるんです。

 

僕の職場にいた人たちは
精神的につらくなって
飛び降り自殺をしてみたり
首を吊ってみたり、

別の部署では死んだ奴もいました。

 

彼らはお金がなかった。
お金があれば、別の収入源があれば
そんな状態になる前に辞めれたんです。

 

ブラック企業のサラリーマンが
過労死するほどに働きまくり
1日の時間のほとんどを
会社で過ごすのも、
お金がないからです。

 

資産家の家に生まれたのに過労死した
という話は聞いたことがありません。

 

 

世界を見てもそうですが、
お金があれば子どもへの教育も変わります。

 

世界トップクラスのハーバードや
MITみたいな大学にいる人もほとんどが金持ち。

 

オリンピックで金メダルを勝ち取っている国は
ほとんどが先進国だったりします。

 

 

これもお金があるからです。
お金があるから子どもにスポーツや勉強に
専念できる環境を作ってあげられるし、
良いコーチを雇うことだってできます。

 

この世の中はお金持ちが一番得をして、
お金がない人が損をするように出来ています。

それが資本主義ってものです。
世界のルールなんですよ。

 

それはお金持ちと権力者が
社会や経済のルールを作り、
世の中を動かしているからです。

 

お金持ちはルールを
うまく利用して、
さらに金持ちになり、
何も知らない人は
一生高いお金を払い続ける。

 

時間を切り売りして
毎月やっと生きている。

これが今の世の中のシステムです。

 

 

知識がないと一生損し続けます。
学んで脳みそを鍛えることで
ルールを作る側に回ることができる。

 

だから僕は常に勉強していますし、
学ぶことを他人にも勧めています。

 

バカでいていいことなんて
一つもありません。

 

 

日本人のほとんどは
お金に困っているはずなのに
お金について勉強している人なんて
ほんの僅か一握りなんです。

だから簡単に、楽に、誰でも稼げるとか
訳のわからん詐欺に引っかかってしまう。

無知な人が詐欺師を生み出して
さらに肥太らせている。

こんなの許せないでしょう。

 

 

ちょっと小難しい話ですが、
そこら辺のディープな話は
違う機会にしますので興味があれば、
読んでいただければと思います。

 

 

僕の所には色んな人から
人生相談が送られてきますが、

昔の僕のようにコンプレックスの塊でだったり、
このままじゃ俺の人生は
奴隷として生きるしかないのか

人生がつまらないって悩んでいるなら

 

まずはお金を稼げるようになる。

 

これが一番の解決策。

 

何をするにもお金が必要になってくる。
逆を言えばそれだけ稼げる
チャンスが転がっている。

 

お金があれば
世界中どこにだって
旅行に行けますし、
可愛い女の子とも遊びまくれます。

うまい酒も飲めるし、
美味しいものもたらふく食べられます。

 

良い車にだって乗れますし、
良い家にだって住めます。
好きなことを納得いくまで勉強できます。

 

一気に人生の選択肢が増えるので
ワクワクするはずなんです。

 

じゃあ、お金を稼ぐには
どうしたら良いの?

 

というと、

 

ビジネスを実際に
やってみるのが一番の近道です。

 

資格を取ることでも、
大学に行くことでも、
ビジネス書を読むことでもありません。

 

実際にやってみるのが一番簡単です。
過去の経験や現状は関係ありません。

 

英語が話せるようになりたければ、
実際にアメリカに行けば上達するように、
お金が稼げるようになりたければ、
ビジネスの世界に飛び込めば良いのです。

 

今の時代は昔と違ってネットがあります。

 

ネットを使えばほとんどコストをかけずに
ビジネスが始められます。

 

ビジネスの世界に飛び込んで
お金を稼ぐのが当たり前じゃんって
環境に身をおけば、

自然と知識や行動が変わってくる。
何なら顔つきまで変わってしまう。

異次元の格上経営者と会っていると
基準値がバグってまた稼げてしまう。

どんどんと自分の中の常識が
破壊されていくのを感じる。

 

細かい話だと最近
手相まで変わってきた気がする。

 

本当に自分の身をどこに置くかで
当たり前の基準も
流れてくる情報も変わるのです。

 

 

逆にこのままお金がない人と
一緒にいると、
お金を減らす価値観になります。

 

収入が低いのに、
3000万円の一軒家を借金して買ったり、
数百万円の新車をローンで買っていたら
絶対にお金は増えません。

 

一生そのローンを完済するだけの
人生になってしまう。

 

未来は自分で
選択しているように見えますが、

本当は環境が未来を
選択させているのです。

だからこそ、人生を変えたい人は
ビジネスに挑戦して、
一番先に環境を変える必要があります。

大きく人生を変えるには
何か大きな行動を取らないといけない。

それが僕は100万円のコンサルだっただけ。

でもそこで正しい努力ができる環境に身を置き
インプットする情報や関わる人を変えれば、
人生は案外簡単にパッと変わっちゃいます。

 

でも、自分でビジネスをするって
何から始めたらいいんだ?

って人は
僕のLINEやメルマガ、
youtubeを見て下さい。

全くゼロの人でも
ビジネスができるように

教えていますから。

 

 

親や上司たちは

「とりあえず大学に行け」
「大企業に行け」
「資格を取れ」
「まずは3年働け」

 

などと何の根拠もない
無責任なことを言います。

 

僕は偏差値36の底辺高校の出身ですが、
大卒や専門卒の人よりも稼げていますよ。

 

結局それって誰かにとって
都合のいいことなんですよね。

 

この世の中は大人たちにとって
都合の良いように歪められた、
間違った情報だらけですから。

 

 

 

今流行りの
「好きなことで生きていく」や
「強み発掘」も
間違っているなと思います。

 

実力もない人が好きなことで
生きていくのは不可能ですし、
わざわざ発掘しなければ
見つからない強みは強みではありません。

 

でも、逆に言うと、
好きなことで生きていくためには
勉強して実力をつければ
良いだけですし、

 

強みが無いなら
これから作れば良いだけなので

逆に希望だなと僕は思います。

 

好きなことをしながら
ワガママに生きたって良いのです。

 

他人に批判されようと、
圧倒的な実力で批判してくる人たちを
黙らせれば良いだけですから。

ただ、ワガママを通すには実力が必要です。
実力をつけるためには
今までいた環境を抜け出して、

当たり前を変えなければいけません。

 

 

人間にとっての最強の武器
それが知識です。

 

 

実力=知識です。
人生を変えるために
必要なのも知識なんです。

 

 

現状を変えたいと思っている人
何か新しいことに
挑戦したいと思っている人には

僕の情報は原動力になるはずです。

 

楽しみにしていて下さい。

長い文章をここまで
読んで頂いて感謝します。


では、また。

 

  • この記事を書いた人

エジソン

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